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広島高等裁判所 昭和47年(う)152号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役八月に処する。

ただし、この裁判確定の日から一年間右刑の執行を猶予する。

原審における訴訟費用中、証人倉本薫(昭和四〇年一一月一二日、同四一年二月二四日出頭した分)に支給した分、当審における訴訟費用中、証人椎木潔、同高重繁規に支給した分は被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、記録編綴の弁護人鈴木惣三郎(但しBの12のみ)、同飯田信一(但し第二のみ)、及び被告人各作成名義の各控訴趣意書並びに弁護人鈴木惣三郎・同馬場照男作成名義の陳述書記載のとおりであるから、ここにこれらを引用する。

これに対する当裁判所の判断は次のとおりである。

原判示第二(建造物損壊)に関する理由不備の控訴趣意について。

原判決が判示第二の建造物損壊の点についてその犯行年月日の記載を脱漏していることは原判示罪となるべき事実の記載に徴し明らかであるところ、犯罪の年月日は犯罪構成要件そのものではないが、有罪判決を言渡す場合における犯罪の年月日は公訴時効、法令適用の当否等に重大な関係を有するものであるから、判決において罪となるべき具体的事実を認定するに当っては、必ずこの関係を知り得る程度において犯罪行為の行なわれた年月日を判示すべく、罪となるべき事実に年月日の記載を全く欠いている場合、有罪判決の理由としては不十分なるを免れず、したがって、原判決には理由不備の違法があるものといわなければならない。論旨は理由がある。

原判示第二(建造物損壊)に関する事実誤認の控訴趣意について。

≪証拠省略≫によると、加藤熊次郎は後に詳述するとおり、広島土地造成株式会社から原審検証調書の検証見取図(二)の斜線部分(A)から「津高」と表示した部分を除いた北側部分(以下これを本件土地という。)を買受けたところ、倉本薫は本件土地を自己の所有地であると主張し、昭和三八年八月ごろ右土地に原判示第二記載のようなトタン葺平家建倉庫二棟を建設したので、被告人は加藤熊次郎から善後策を講ずるよう求められ、同年八月から一〇月までの間、内容証明郵便をもって倉本薫や、同人から右倉庫の建設を請負ったと思われる西日本建設興業株式会社に対し再三右倉庫の撤去を要求したが、同人らがこれに応じなかったため、ついに自らこれを取壊して撤去しようと決意し、同年一一月一七日ごろ、源田平太をして人夫数名を使用させ、右倉庫を取壊させたことが認められるのであって、被告人の犯意は十分これを肯定することができる。

所論はなお、被告人の右損壊行為を緊急避難ないし自救行為と主張する。そこで所論に鑑み、倉本薫が前記の如く倉庫二棟を建設するに至った経緯から検討する。

≪証拠省略≫によると次の諸事情を認めることができる。

被告人は、昭和三五年一月二九日大和商事株式会社から、金二〇〇万円を弁済期同年三月三一日(但し、右弁済期はその後被告人の申出により順次延ばされ、最終的には昭和三六年六月三〇日となった。)、利息年一割五分の約定で借受けるとともに、連帯保証人川本功一(被告人の実子)が同日右借受金の支払を担保するため、弁済期にその支払を遅滞したときは、弁済期の翌日に代物弁済として右川本功一所有の広島市尾長町字奥の谷弐、九一一番の三宅地一八四・六七坪(以下土地については地番のみで略称する。)、同九一一番の四宅地一九一・一八坪の所有権を同会社に移転する旨の停止条件付代物弁済契約を締結するとともに、右土地につき抵当権を設定したが、同会社は昭和三六年六月一四日、被告人らに対する貸付金債権(譲渡当時の債権額は一三一万余円)及び停止条件付代物弁済契約上の権利等を倉本薫に譲渡した。

ところで、被告人は右二筆の宅地を担保に供するに当り、大和商事株式会社代表取締役松田章に現地指示したのであるが、≪証拠省略≫によれば、松田章が九一一番の四として現地指示を受けたのは「九一一番の三の土地のところで、この土地と下(南方)の方のあの土地ということで指示を受け」たのであり、原審検証調書の検証見取図(二)の九〇一番の七しいぎ商店の「下(南方)の空地」としてであり、又附近造成地の「一番入口(南方)なんです、入口の右側(入口から奥の方に向って)なんです。」なのであって、これに≪証拠省略≫を総合すると、被告人は当時空地であった本件土地を含む前記検証見取図(二)(A)部分を九一一番の四として右松田章に明示したものと認められ、その指示が明確さを欠くとか、被告人が自ら九一一番の四として主張する、前記検証見取図(二)に(B)として表示してある部分を現地指示したとは到底認めることはできない。

前記の如く、大和商事から債権等の譲渡を受けた倉本薫(二筆の宅地の現地についても大和商事から引継を受けた。)は、被告人がその最終弁済期(昭和三六年六月三〇日)を徒過したので、右二筆の宅地の所有権を取得したとして、直ちにその所有権移転登記手続を求める訴を提起した。

一方被告人を代表取締役とする広島土地造成株式会社は、その宅地分譲事業の一環として昭和三七年一〇月二〇日津高毅に対し、広島市尾長町字奥の谷弐、九〇一番の六宅地五六・六四坪、同九〇一番の八宅地二〇坪合計七六・六四坪を代金八六万余円で売渡し、同年一一月六日その所有権移転登記手続を了し、同人は右宅地上に住宅を建築して昭和三八年四月頃これに居住するに至った(前記検証見取図(二)に「津高」と表示した部分)。

又加藤熊次郎(ただし加藤直義名義で)は右広島土地造成から昭和三七年一〇月二五日広島市尾長町字奥の谷壱、八八七番の一一宅地四一坪を代金七六万余円で前同様分譲を受け、同年一一月一五日その所有権移転登記手続を了すると共に、同年一二月二日頃山本義男からその隣接地(南側)同字弐、九〇一番の一宅地二二坪八六(山本義男が前同様宅地分譲を受けていたもの)を買受けたのであるが、右二筆の現地指示としては右広島土地造成から本件土地部分の指示を受けた。

かくする中、倉本薫は昭和三八年四月頃、津高毅が前述の如く前記検証見取図(二)の(A)部分の一部に住宅を建築居住するに至ったことを耳にし、直ちに津高に抗議したが、その際津高の敷地部分のみならず、本件土地も加藤熊次郎に分譲されていることを知り、倉本は真相究明のため加藤と共に被告人を連れて、係争地の分筆手続等に関与して来た土地家屋調査士兼司法書士田頭日出夫方まで赴いたが、被告人は何故か田頭司法書士に会おうとしなかったところから、加藤は本件土地の権利関係について疑念を抱くに至り、結局昭和三九年二月に至り加藤熊次郎は被告人に本件土地を買戻させることで解決したのであるが、その間倉本と加藤の間で、互に自己の権利を主張して本件土地の周囲に鉄条網をめぐらしたり、これを取除いたりということが繰返された。

かくして遂に、倉本薫はその権利を確保するため昭和三八年八月頃、村上工務店等をして本件土地の南端部分に前記平家建倉庫二棟(一六坪及び一・五坪)を建設せしめるに至り、他方被告人は家屋建築の目的で本件土地を買受けた加藤熊次郎からその善処方を要求されるや、右倉庫には「西日本建設興業KK管理地」と表示した巾約二間の看板が掲げられてあったところから、被告人は広島土地造成株式会社の代表取締役として右西日本建設興業株式会社代表取締役服部武及び倉本薫に対し、昭和三八年八月二八日から同年一〇月一二日までの間三回に亘り内容証明郵便によりその撤去方を要求したが、右看板については西日本建設興業において同年九月上旬までにその覆いがなされたものの、倉庫自体の撤去についてはその要求が拒否されたので、被告人は遂に自らこれを取壊して撤去しようと決意するに至ったのである。

ところで、弁護人らの緊急避難ないし自救行為の主張は、これを要するに、前記倉本薫、服部武らの所為は、被告人の経営する分譲地の一角に、名ばかりの「倉庫」を設け、これに暴力団の看板を立てて不穏な雰囲気を醸成し、分譲地の売行きをそこね、既に契約した者のうちにも解約する者を生じ、よって被告人の会社を倒産の危機に瀕するにいたらしめたもの、すなわち被告人の営業に対する威力業務妨害的行為であって、被告人は、かかる現在の危難を避けるため、やむなく本件所為に出たに過ぎないものであるというにあると思われる。≪証拠省略≫によれば、本件倉庫は、前述の如く倉本が本件土地に対する権利等を確保するため建設した名ばかりの倉庫ではあったが、その中には中古とはいえ相当量の建築資材等が保管せられていたものであり、その看板も前述の如く「西日本建設興業KK管理地」と表示してあるだけであって、世評に暴力団の幹部と言われていた服部武の名前が直接表示せられていたわけではなく、被告人も西日本建設興業株式会社の昭和三八年八月二六日付謄本の下付を受けて始めてその代表取締役が右服部武であることを確認した程であり、又本件土地の北側に隣接した九〇一番の七で燃料商「しいぎ商店」を営んでいた椎木潔も、当時その看板に何ら関心を持たなかった程度のものであって、右看板の掲示に伴ない暴力団の不穏な雰囲気が一般の善良な市民に醸成されたという如き事実は皆無であったばかりか、暴力団員による不穏当な言動も全く存在せず(≪証拠判断省略≫)、その看板も被告人の西日本建設興業に対する内容証明郵便による要求に基いて覆いがされ、被告人も同年九月一二日にはその事実を確認しているのであり、分譲地の解約にしても、本件土地の所有権帰属をめぐる紛争から加藤との間で買戻を余儀なくされた事実はあるものの、その間の事情は先に詳述したとおり本件土地を現地指示の点で大和商事株式会社と加藤熊次郎の両者に対し二重に処分したことに由来するものであって、これ偏に被告人が責任を負うべき当然の応報というべく、更に松本建設株式会社の担当者古林義敦との間で、被告人の経営する広島土地造成株式会社の土地分譲の話が、松本建設側の意向で成約に至らなかったのも、帰するところ、被告人が本件土地を右の如く現地指示の点において二重に処分したことに基因する紛争がその主たる原因であったものと推測するに難くなく、当時右広島土地造成株式会社が土地分譲事業の不振から倒産の危機に瀕したとしても、それは被告人の前述の如き無責任極まる経営態度に由来するところであって、弁護人らの主張する如き倉本、服部らの所為に基因する現在の危難は存在しなかったものと認められ、被告人が昭和三八年一一月一七日ごろに至り漸く本件所為に出るまでの間、倉本らの所為に対し何らかの法律上の救済手続を講じようと思えばその機会があったにも拘らず、敢てその挙に出ず、斯る手続を取る意思すらなかった事実は、右の事情において理解できる。

従って、緊急避難の主張は、「現在の危難」及び補充性の各要件を欠き理由のないものというべきである。

次に自救行為なるものは、法律上の手続によらないで自力による権利の救済実現をはかることを本質とすることにかんがみると、自救行為が許されるのは、法律上の手続による救済を求めるにいとまなく、しかも即時にこれをなすのでなければ権利の救済実現を不可能又は著しく困難にするおそれがある事態の下で、自ら直ちに必要の限度において適当な行為をすること、例えば盗犯の現場において被害者が犯人から賍物を取還するような場合に限られるべきものと解するのが相当であって、被告人の本件損壊行為が、「法の救済を求めるにいとまなく、しかも即時にこれをなすのでなければ権利の救済実現を不可能又は著しく困難にするおそれがある場合」に該当しないことは、前記認定の諸経過に照らし明白であって、法律上の手続によらないで、自らの実力行使に出た被告人の本件所為は違法という他ない。論旨は理由がない。

以上の次第で刑事訴訟法三九七条一項、三七八条四号により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書を適用して、当裁判所において本件被告事件について更に判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和三八年一一月一七日ごろ、広島市尾長町字奥の谷弐、九〇一番の七しいぎ商店こと椎木潔方南側空地において、情を知らない源田平太をして人夫数名を使用させ、同地所在の倉本薫所有にかかるトタン葺平家建倉庫二棟(一六坪及び一・五坪の各一棟)を取壊させ、もって他人の建造物を損壊したものである。

(証拠の標目)≪省略≫

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法二六〇条前段にあたるので、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役八月に処するが、情状により同法二五条一項を適用して一年間右刑の執行を猶予し、訴訟費用の負担については、刑事訴訟法一八一条一項本文により、原審証人倉本薫(昭和四〇年一一月一二日、同四一年二月二四日出頭した分)、当審証人椎木潔、同高重繁規に支給した分は、これを被告人に負担させることとする。

よって主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 栗田正 裁判官 雑賀飛龍 片岡聡)

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